[侵食/Michael Side]

頬に触れた指先の、ひやりとした感触に目を開いた。
振り返る必要もない――相手が誰かなんてわかりきっている。

「………エレナか」
「あたり〜」

降り注ぐ影に、座ったままでゆっくり頭上を見上げたら、確信した通り、そこにいたのはエレナだった。
座る僕とは反対にそこに立ち、見上げる僕とは反対に僕を見下ろしている。

「ミハイルはすごいねぇ」

エレナはにへらと笑う。どうしてわかったのかなぁ。
呟く表情はゆるくて、緊張感など欠片も感じられない。
…暢気な奴。

「…別に。すごいことなんかないだろ」

そうかなぁ、と真顔で首をひねるエレナから、視線を逸らした。
短く、この上なく乱暴に返した返事を、エレナが気に留めたようには見えない。
首を傾げて、そうかなぁ、を繰り返すばかりだ。
もどかしい緩慢なペースを断ち切りたくて、ふんと鼻を鳴らす。
――お前にかかれば世界の大方のことは「すごい」で片付いてしまうじゃないか。

「ミハイルは、ほーんとーぅ、にすごいねぇ」
「…何が」

そら、また始まった。言外にほのめかして不機嫌な視線を投げたが、こいつはきっと気付いちゃいない。
だってぇ、エレナは小さく首を竦める。

「あたしがしようとしたこと、わかったんでしょう?
目隠しして、誰だー、ってしようとしたのにすぐバレちゃった」

ミハイル目ェ閉じてたのにねぇ。間延びしたいつもの口調で呟く。笑う顔の邪気のなさに苛立った。
…暢気な奴。

「…………手が触れたからだろ、頬に。
冷たかったからすぐわかった…僕じゃなくたってわかるだろ、あんなの」

両手を背凭れから引っ込めて、考え込むようにエレナはそれきり黙ってしまう。

エレオノーレ・クライン。一体何なんだろう。僕はこいつが本当にわからない。
馬鹿で暢気でのろま。単純な奴だと思っていたら、おかしなところで妙に繊細だ。
普段は何を言ったってちっとも響きゃしないくせに、ちょっとした瞬間に、いきなり元気がなくなったりする。
そのくせ、こっちが気を回した時には大抵もう浮上していたりするから、質が悪い。心配しただけ馬鹿を見た気持ちにさせられる。

――なんで僕が、お前なんかに振り回されなきゃいけなんだ。

「……他にこんなことする奴いないだろ」

ため息が漏れた。俯いていたエレナが、ハッとしたように顔を上げる。

「こんな子どもじみたこと、考えるのもやろうとするのもオマエ以外にいない」
「…………そうだよねえ」

…そら見ろ。もういつもの通りじゃないか。
「そうだ」
「………そうだよねぇ」
「……オマエさっきからそれしか言っていないだろ」

そんなことないよぉ。これ以上何を言っても無駄に思えてくる程やわらかい顔で、エレナはのんびり反論する。

「ミハイルはほんとぉーうに、」

またか、と苛立って言葉を遮る。

「すごい、はもう言うな……僕は自分でちゃんと知っているし、
あんまり乱発すると厭味に聞こえる」
「そうじゃないよ、ミハイル」
「…何?」

今度は何を言い出す気だろう。全く予想が出来ない。
怪訝そうにする僕の目を覗き込んで、エレナは微笑んでいた。

「……ミハイルきいて?あのね、ミハイルはほんとーぅに、」

やさしいね。


継いだ言葉に息をのんだ。耳を疑う。

「…!何が優しいだ、お前自分が馬鹿にされてるって分からないのか!」
「えぇー、だってしょうがないよぉ、」

あたし馬鹿だもん、と事も無げに言って、エレナは更に続ける。

「私ちゃんと知ってるよ。ミハイルはほんとはすごーく優しいの。
他の誰も知らないけど私は知ってるんだ」
「…馬鹿かお前は」

僕は呆れて、それを言うのが精一杯だった。もう力が入らなかった。力説し終えたエレナはひとり満足の表情を浮かべている。
……一体こいつはどれだけ馬鹿なんだ。
冗談じゃない、と思いながらそれでもだんだんとエレナに毒されてきている自分を、僕は最近少しずつ自覚し始めている。

…こいつのペースには、絶対にのまれてやるもんか。

そう思いながら、頭上を見上げた。見下ろすエレナの表情はどこまでもゆるくて、緊張感などやっぱりどこにもありはしないようだった。

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ナムラ様から頂いてしまいました!
うおっわわわ・・・!ステキすぐる・・・・・
文章を描ける方ってうらやましいです・・・
セリフ以外の描写を書くのが私は極端に苦手なんですが
こんなにナチュラルにさらさらと頭に入っていくように
描写ってできるものなのですね・・・・

ミハイルはエレナのことをただバカでのんきでマヌケで
トロいと思っててほしいので(最初は)
あまりにぴったりすぎて嬉しいです。

ありがとうございました!